『八重の桜』も舞台が京都に移り、新島襄との出会いから、同志社英学校の創立まで話が進みました。ドラマ後に紹介された大学の映像に、久しぶりにキャンパスを歩いてきました。よく前は通りますが、その中は私が通っていた頃とは様変わりしています。
チャペル(同志社礼拝堂:1886年_重要文化財)から観る彰栄館(1884年_重要文化財)の時計塔。どちらも私が通っていた頃は、同志社中学の敷地だったもの。中学の頃には、このチャペルの入口を、毎朝くぐっていたわけです。当時はぎゅうぎゅう詰めに、跳ね上げ椅子が並んでいたチャペル内も、先日のNHK映像では、随分とゆったりした席に変えられたよう。
彰栄館は今出川キャンパス最古の建物で、京都市内でも最古のレンガ造り建築物です。私の中学生当時、この横には教室棟が繋げて建てられていて、それを彰栄館、こちらを旧彰栄館と呼んでいました。
チャペル入り口のステンド窓からみた、工事中の明徳館の塔。今キャンパス内は、そこここで工事中。明徳館、弘風館、至誠館前、正門あたりなどがフェンスに囲まれています。
写真左端には、これまた懐かしい博遠館が写っていますが、今回は行けませんでした。
こちらも懐かしい寧静館。油臭く男臭い講武館から、明るい”文系エリア”へ抜けるトンネルのような通路の両側に、どちらも同じ階に繋がる階段が。なぜそこまで大きな階段流量が必要なのか、在学中から不思議でした。今日は留学生に係わるプログラムがあったようで、夏休みにもかかわらず、ここだけは賑やかでした。
こちらはハリス理化学館(1890年_重要文化財)。ここも工事中のようで、コーンが並んでいます。入口上の扁額には、誇らしげに『SCIENCE』の文字。現在ここには、新島襄校祖・同志社関連の資料を展示する『同志社記念ギャラリー』が設けられています。
クラーク記念館(1894年_重要文化財)の表と裏。数年前に、大規模な復旧工事が行われ、昔よりもキレイになりました。この建物の中は学生時代、色々な撮影に使わせて頂きましたし、語学の授業を受けたこともありました。外も中も絵になる建物ですが、いま入ることは出来ません。
よく語学などの授業を受けていた弘風館も、今は左のような姿。工事現場の傍らには、右のような”かわらけ”が置かれていました。このキャンパスのどこかから、掘り出されたモノでしょう。
空から観れば、十字架になっている有終館(1887年_重要文化財)。正門近くにありながら、大学本部関係の施設だったので、あまり印象に無い方も多いかも知れません。でも何とも重厚な外観で、今回撮るのが楽しみな一つだったんですが、工事のために正面には廻れず、北側から観るだけ。それでも校舎に寄り添い立つ樹々は、移り変わるキャンパス内で、昔の姿を残しているように思えます。当初は『書籍館』と呼ばれる図書館だったとか。
有終館前の掲示板には、こんな新島襄の言葉も..『日に新たならねばならず。日々真に進まねばならぬ。』
相国寺門前の通りを隔てて、同志社女子大学側に渡ったところ、V.M.ヴォーリズ設計のちょっと可愛い建物が啓明館(1915年_登録有形文化財)。当初は書庫棟だったそうですが、在学当時は近寄り難く、初めてよく観ました。さすがの細部まで気の行き届いた形ですね。
こちらもV.M.ヴォーリズによるアーモスト寮(1932年_登録有形文化財)。在学当時は普通に学生寮でしたが、今は長期滞在の教授等の、宿泊施設となっているそう。一度入ったことがありますが、映画で観るような”海外の生活空間”があったように記憶しています。
中学校跡地に建てられた良心館。立派ですが...キレイすぎる建物は、何だかとても無機的で、昔の小汚い..もとい、生活感のある校舎が犇めいていた頃のほうが、大学生らしく過ごせるように思うのは、時代の変化というものでしょうか。
『八重の桜』でも出てきましたが、元々此処は薩摩藩邸の敷地。西門からの風景は、少々様変わりしましたが、烏丸通り沿いの脇には、昔からこの碑が建っています。
キャンパス内は、キャンパスツアーでなくとも、散策することが出来ます。正門および西門では、キャンパスmapも貰えますが、くれぐれも建物内には立ち入らないよう、よろしくお願いします。(トイレを遣うことと、食事のために学食へ入ることは可能です。)