番外編・姫路モノレール

今回は番外編として、姫路のモノレール跡を歩いてきました。姫路には年に何度も行き、以前からこの遺物が気になっておりました。

姫路駅の西北、山陽電鉄姫路駅の南隣を始発として、西へ向かう部分。駅近くに橋脚だけで建てる余地は無かったのでしょう。モノレールと建物とが、一体化して造られていたようです。振動・騒音が少ないと言う構造に、かなり自信があったのでしょう。40年前の遺構が放置されていることも驚きますが、余所者が何より奇異に思えるのは、その姿が町に溶け込んで...これほどの時間が経てば当然でしょうが...誰も気にせずに通り過ぎてしまうことです。
 
 
 

 
 
 
 

唯一の途中駅『大将軍駅だいしょうぐんえきは、この住業混合ビルを貫通するように存在しました。何とも近未来的なこの光景。駅プラットホームのある3階?部分から下の店舗は、全て閉じられてしまって廃墟の様相ですが、4階?から上の住居部分は、まだ多くの方の暮らしがあるようです。
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 

予算の問題から解体・撤去されず、放置され続けているモノレール跡ですが、大きな道路や、JR線との交差ポイントは、やはり安全を優先して撤去されています。大将軍駅ビルから県道62号線の部分で撤去された遺構は、またここから先残っています。
高速運行が可能な『ロッキード跨座式』のこのモノレールで、登坂性能・曲路性能をテストするため、この辺りは敢えて急勾配・急カーブとしていたとか。
 
 
 

運河とレンガ倉庫..といった趣のこのあたり。ここを越えた山陽新幹線の下、JR山陽本線の手前で、またレールは途絶えます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

そしてJR山陽線の高架を越えたところで、またレールは寂しい姿をさらしています。
 
 
 
 
川の上を利用して施設された路線は、工場地帯の中ではあまり邪魔にもされないのか、そのまま空に聳えていました。
 
 
 

 
 
 

そうして住宅街を前にして、線路は途絶えてしまいます。川のただ中で不意に立ち止まり、文字通り『立ち往生』したモノレール。傾き始めた冬の陽に、侘びしさが募ります。
 
 
 
 
 
 
姫路モノレールは、昭和41年に姫路博覧会の会場・手柄山と、姫路駅を結ぶ交通手段として開業したものですが、実はもっと遠大な構想の下造られた新交通の、一部区間での開業だったようです。けれどその思惑はうまく実を結ばず、昭和49年にはたった1.8kmの路線は延伸されないまま営業中止となり、結局そのまま廃止となってしまうのでした。

 
 
 

なかなかシュールな家族像...ジブリの回想場面のよう。
 
 
 
やっと出会ったモノレールの顔はこんな感じ。なかなかカワイイと思いませんか。でもこの車体は、ロッキード航空機が開発、川崎航空機が製造した、当時最先端の車両。航空機の技術を使った軽量、かつ低騒音・低振動の車両だそうで、ATS自動列車停止装置も備えていたと言います。なお、いま車両を展示している『手柄山駅』は、丘の斜面にモノレールが突き刺さるように潜り込み、車両整備場なども含めて、地下の駅となっています。

 
 
 

姫路駅周辺は、近頃JR高架化に伴う再開発中で、このレールの遺構も、いつまで見ることが出来るのでしょうか。