六角獄舎(三条新地牢屋敷)跡


六角大宮を東へ入ったところに、『六角獄舎』の跡が在ります。平安時代にさかのぼる京都の獄舎が、十八世紀初頭の宝永の大火以降この地に移転してきたといいます。ここでは死刑囚の遺体により、宝暦四年(1754年)に、医学者山脇東洋によって、日本最初の『人体解屍観臓』(=いわゆる解剖)が行われたとか。杉田玄白らによる観臓より17年前のこと。
同じ場所で幕末には、禁門の変(蛤御門の変)の折、兵火が獄舎に及び、尊王攘夷派志士の逃れるのを怖れた幕吏が、彼らを斬殺するという事件が起きたそう。未決ながら、生野の変の首謀者とされる平野国臣も、その内に居てここを『平野国臣殉難の地』として、碑が建っています。
少し歩けば、様々な歴史の足跡が、折り重なるように埋まる京の街。いつまで経っても、知らないことばかりですね。