新島旧邸

2013年のNHK大河ドラマの主人公が、同志社の祖・新島襄の奥さん『新島八重』と決まりました。福島生まれの彼女を採り上げるのは、やはり震災復興へのNHKなりの思いもあるのでしょうが、同志社出身者として、また京都の人間としても楽しみです。
 
明治8年に御所の東側、寺町通りに面したこの地を借りて開校した同志社英学校は、その後御所の北、薩摩藩邸跡に移りましたが、ここに新島襄は新居を建て、妻・八重とともに棲むことになります。通りからの外観は、武家などの長屋門のよう。
  
 
 
 

当初は教室、職員室などと、多目的に使われた応接間。椅子やテーブルはその当時のままのもの。ちなみに八重の兄は会津藩士の山本覚馬鳥羽伏見の戦い薩摩藩邸に幽閉されるも、西郷隆盛岩倉具視等に認められ、明治に入り釈放。その後京都府の顧問となっていた。その兄の縁から新島襄と出会い、明治の世を“ハンサムに”生きたといいます。
 
 
 
 
 

新島襄自身が設計したとも言われる旧邸。かなり先進の人だった八重を思って、和洋折衷の_と言う以上に独創的ですが_思想で作られています。写真左から...土間が無く板張りで、井戸も室内にある台所。一階の暖炉からの廃熱で、二階を暖めるセントラルヒーティング。腰掛け式の洋式トイレ。
 
 
 
 
 

明治15年(1882年)、津田仙*1と共に勝海舟を訪ねた新島襄に、海舟が与えた『六然の書』が掛かっていました。曰わく...自処超然、人処藹然、無事澄然、有事斬然、得意淡然、失意泰然。
 
 
 
 
 
 

新島襄の死後に、八重によって作られた茶室『寂中庵』。女性向けの茶道教室を開き、自活していたといいます。
 
 
 
 
 

真理は寒梅の似ごとし、敢えて風雪を侵して開く。新島襄
 
 
 
 
 
 
明治以前の物語なので、都=京都が出てくるのも当然かも知れませんが、『龍馬伝』『江』『平清盛』『八重の桜』と、ここのところ大河ドラマの舞台に、京都は頻出しています。
 
 
 
 
 
 

*1:津田仙:同志社大学青山学院大学筑波大学附属盲学校の創立に関わった明治の農学者でキリスト者津田塾大学創設者の津田梅子の父。