戊辰戦争・鳥羽伏見の戦い勃発の地1

王政復古の後、鳥羽と伏見の両街道から、京に攻め上る旧幕府軍幕臣会津藩桑名藩と、城南宮と御香宮に布陣する新政府軍薩摩藩長州藩が、今から145年前の慶応4年明治元年・1868年)1月3日ぶつかることに。鳥羽街道方面では鴨川を渡る『小枝橋』近くで対峙の後、夕刻に新政府軍側がアームストロング砲を発射。これが号砲となって両地で戦が勃発したと言います。ここから約二年にわたる戊辰戦争へと、この国は突き進んでいくことになるのですね。

城南宮から西へと伸びる城南宮道と、鳥羽街道の交差する辺りに、京都市による『鳥羽伏見の戦い 勃発の地』の駒札・石碑が在ります。現在の小枝橋は、名神高速・京都南I.C.のすぐ南東に、新しく掛けられた立派な橋となっています。
 
 
この記事は本来なら、3日に載せるべき処ですが、ちょっと遅くなってしまいました。ちなみに、鳥羽伏見の戦はこの5日時点で、幕府軍は一旦淀に布陣するも敗退、更に淀城入城を拒絶されたため、更に男山へと退却する状況となっていました。