一期一会...を得られなかったら。

一期一会の瞬間にしか「本物」は存在しないのか?

私はどうも子供の頃から「一瞬の記憶能力」に欠けているように思っている。つまらぬ事に気が散って、真正面・間近にあるモノを見ていないのかも知れない。
それでも旅する事は好きで、何かしら「ワクワクした」感じは勿論ハッキリと覚えているが、その時何があったか、詳しく状況を思い描けるかと言うと、どうもそこの処はあやふやだったりする。
あるいはそう思い込んでいるだけって事も考えられるが、旅先の出来事を詳しく語るヒトの姿を観ると、羨ましくもあり、信じがたくもある。もちろん決して嘘を行っているようには思えないし、と言う事は...みんなそんなに覚えてるの?って事になる。
だいいち映画やコンサートなんか、一度っきり見聞きしただけでは、「完動の余韻」以外余りハッキリ覚えていないかも知れない。だから映画ならビデオやDVDで繰り返し見るし、旅先の出来事は写真によって甦ってくる。
だから写真を撮り始めたって事は、何度も語ってきたので、何度も聞かされたヒトも居るかも知れないが、実際そうなので仕方がない。自分の撮った写真で、自分の通った瞬間を思い出す。
今ある記憶は本物なのか、記録によって自ら捏造したものなのか。オリジナルの記憶と、コピーの記憶...全ては死に際のカットバックかも...なんて、子供ながらに真剣に悩んだりした。
そう、折角の映画を小さなテレビ画面と、音域の狭いスピーカーで再生させて見るなんて...。旅先の感触をチープなデジタル画像に頼るなんて...つまらないねと思われても構わないけれど、でも、それはそれ。替えられるものがあるのだろうか?
自分にとっての現実も非現実も、他人からすればどちらも表現で、ソレを見せる事に嘘があるとは思わないから、相変わらずに棄てるモノは棄てて、やって行こう。

...なんの事か判らないって?スミマセンね。