本能寺跡〜大河ドラマ『江』ゆかりの地

次回の『江』では、本能寺の変が採り上げられるようですが、実は本能寺跡は”変”な...ややこしいことになっています。
 

 
織田信長が散った本能寺は、現在の堀川高校の東裏、旧本能小学校の辺りに、南北300m東西150mと言う、広大な寺域であったそう。その後秀吉により移転させられ、現在の場所に移った本能寺が、京都の繁華街近く、市役所の向かいにあることから、その地で信長が没したと思っている方も多いとか。
いまは市内中心部の児童数の減少による、学区統廃合のため、廃校となった本能校の西、油小路通に面して、本能寺跡の碑(写真一枚目)が建っています。ただこの碑よりも前に建てられたものも、同じ校地跡の東北側に建っています(写真三枚目)。ややこしいのは、前者の並びに、『本能校跡』の碑(写真二枚目)もあることと、『元本能寺町』は別の場所であること(写真四枚目)。*1
まぁややこしいなんて思うのは、私だけなのかも知れませんが...。この「色々ある」ことを楽しんで、探して廻るのも一興かと。
また、本能寺の変以前にも焼失しているため、字に「ヒヒ」(火々)と重なるのを忌み嫌い、別字体*2で書く慣わしもあるとか。





 

*1:この油小路側は『本能寺町』ではなく『山田町』。旧い碑のある小川通に沿って、南から『南元本能寺町』『元本能寺町』『本能寺町』と言う町名が並ぶこと。昔の寺社の規模の大きさに較べ、「OO X丁目」という呼称を許さない、京都の町名の範囲の狭さが為せる業ですね。

*2:PC上では表示できませんが、ヒヒを去と表すようです。