明智光秀首塚

        
白川から少し路地を入ったところ、民家に囲まれてひっそりと明智光秀を祀る祠があります。光秀の最期については諸説あるそうですが...本能寺で信長を討ったあと、山崎の戦い羽柴秀吉に敗れ、自領の坂本へと落ち延びる途中、伏見小栗栖で農民の竹槍に倒れ、家臣に「我が首を落とし、知恩院にて灰にせよ」と言い残したとか。その後光秀の首は知恩院に近いこの地に葬られたと伝えられます。(2010/5/8の記事より転載)