京福電鉄・鞍馬線(現 叡山電鉄)昭和50年代

今度は京福...
 

 
貴船口駅そばの鉄橋を往く21(旧京都電燈デナ21形)
当時は京都市内の叡山本線鞍馬線嵐山本線北野線に加え
福井県内にも長い路線を持っていた京福電鉄
いずれも多くの有名観光地をつなぐものでした
この21はいま鞍馬口駅前に前端のみ保存されています
 
 
 
 
 


 
出町柳駅で出発を待つ125(旧鞍馬電気鉄道デナ121形)
周辺が写っていないので何とも言えませんが
ホームはいまと変わらぬ雰囲気
よりのんびりした感じ..と言ったところでしょうか
 
 
 
 
 

 
岩倉駅に進入する出町柳行き125(旧鞍馬電気鉄道デナ121形)
出町柳駅岩倉駅間の折り返し運転で
おそらくこの奥のポイントで引き替えしてきたところ
岩倉もいまでは大きな住宅地ですが
当時は一面田畑という長閑な風景
私の高校時代もこの岩倉川から西はまだ田んぼが多かった
 
 
 
 
 

 
修学院車庫で左から201,501,505,202
(201,202は京福電鉄デオ200形 501,505は京福電鉄デナ500形=旧阪神電鉄831形)
中央のデナ500形は阪神電車より譲り受けたもの
夕暮れの寂しげな車庫に佇むのはいまは全て廃形式となったものばかり
ちなみに..形式名の「デ」は電動車 「ナ」はナカガタ=中型 「オ」は大型を示しているそうです
 
 
京福山科区民にとっては馴染みは薄く
”電車”好きでは無かった私はこの頃の写真は皆無
嵐山本線北野線(現嵐電)に至っては画像ゼロという悲しさ
その後岩倉まで通い詰めたり
北野線沿線に仕事場を置くことになるとは
当時は全く思いもよらないこと