金戒光明寺


朝五時発表の天気予報で、それまで雨の予報が晴れに変わったんで、慌てて出掛けてみましたが、陽が差したのはほんの一瞬。散り往く紅葉にも、一瞬の光明が...。
 
 
 

阿弥陀堂裏手にも、秋深まった落葉の風景。
 
 
 
実は今日まで阿弥陀堂が、秋の特別公開中だったので、慌てていったという処。御影堂では、現在修復中の山門にお安置されている仏さんたちが、間近に接することが出来ました。特に、普段大きな門の上部に掛かっている、後小松天皇宸翰*1(しんかん)の「浄土真宗最初門」の勅額は、こんなに大きかったのかと思う身の丈大。今回修復されて、黄金も鮮やかになっていました。
 
 
 

折しも明日は、京都守護職となって、本陣をここ金戒光明寺に置いた、会津藩主・松平容保の忌日(明治26(1893)年12月5日)。東海道の発着点・京都粟田口から近く、大山崎の天王山まで見渡せたここに、本陣が置かれたのは幕末の時点での考えではなく、徳川幕府は元々黒谷・金戒光明寺と、東山・知恩院をいざというとき、要塞とすることが出来るように、寺構えを造っていたと言います。一見簡素な方丈前庭も、そうした場所故の雰囲気なのでしょうか。
 
 
 
大方丈を経て『紫雲の庭』へ。
6年ぶりのお庭は、もう既に紅葉は散り盛んで、暗い雲に覆われだした空の下、少し色褪せて見えてしまいました。池に張り出す紅葉は、まだ少し鮮やかさを残すよう。
 
 
 

陽があればまだ色も暖かだったでしょうが、今朝は寒々影の色。それでも人が少なかったのは幸いでした。その後、御影堂前に戻ると、拝観受付には結構な行列が出来、その後の混雑が目に浮かぶよう。
 
 
 
紫雲の庭の一番奥まったところ、池の入り江のような処に、最後に残された紅葉の風景。
 
 
 
 
その後、特別公開の阿弥陀堂へ。普段本堂だと思っていた御影堂は本堂ではなく、阿弥陀堂が本堂だと初めて知りました。普段公開されていない阿弥陀堂は、そのお陰で阿弥陀像や柱の色彩が、鮮やかに保たれていたのが印象的でした。
 
 
 
 

池泉回遊の通路の足もとには、こんな亀さんが沢山居て、一緒に進んで行く感覚。
 
 
 
ちなみに...以下の写真は2006年撮影のもの。真っ盛りの紅葉に出会えた『紫雲の庭』。あの頃は人も少なく、静かにゆっくり堪能しました。
 
 
 
 
 

*1:天皇の直筆