霊芝山光雲寺

 
先日の大河ドラマ「江」最終回で描かれたように、徳川秀忠・江の末娘「和子まさこ」は後水尾天皇中宮となり、奈良時代以来の女性天皇明正天皇の母となります。皇室と徳川家との結びつきもこれほどになり、徳川安泰の基盤ともなったのでしょう。その後禅宗に帰依して東福門院となり、その菩提寺として光雲寺を再興されたと。元は5300坪の寺域、七堂の伽藍を擁したと言いますが、それも今は昔、現在は禅宗の一塔頭然とした趣です。それでも東福門院ゆかりの仏像や、古文書などに王寺の栄華が偲ばれます。特に「菊の御門」と「葵の御紋」が共に描かれ、刻まれた事物には、今なお威厳が感じられます。
現存の庭園は”植治”の手によるもの。やはり琵琶湖疏水を利用した、池泉式の庭園に、もみじが映えています。