花山稲荷神社・夏越大祓なごしのおおはらえ

年の半ばを越える六月三十日に、身の穢れけがれを払い、残り半年を無事に過ごせるようにと、「夏越大祓式」が市内各所の神社で行われます。元々はその昔、疫病の流行しやすい夏を、無事に過ごせるようにとの思いから始まったとか。茅の輪を授与してもらうのは、祇園祭の粽と同じく「蘇民将来そみんしょうらい」の故事*1によります。
    

ということで、山科の花山稲荷神社にお参りしてきました。


          
花山稲荷神社での式は、今日の午後三時から行われますが、朝にお参りした私は参加できないので、先に「大祓人形おおはらえひとがた」を納めてきました。 この人形、花山稲荷神社では十枚入っていて、一枚ずつ家族の名前を書き、その人形で体の悪い部分を撫で、三回息を吹きかけてお祓いしてもらいます。郵送も可能です。こちらではお炊き上げされるようですが、水に流すところもあります。 人形祓いの後には写真右の「茅輪御守」を授与され、「水無月」を頂けるようなのですが...私のように先に納めたり郵送での方は、御守は郵送して頂けますが、水無月は残念ながら我慢です。




 
境内で準備をされている神主さんに、手を止めて頂いていろいろお話を伺いました。大石内蔵助の隠棲の地にも近いため、度々参詣して仇討ちの成就祈願をしたとか。境内には内蔵助がその道すがら、座って思いを巡らしたという「断食石」*2が拝殿前にあり、内蔵助寄進と伝わる鳥居が本殿裏にあったりします。...山科もなかなか深い歴史があるのですが、先日の南山城しかり、亀岡しかり...京都の周辺は広報下手の所為か、あまり知られないままですね。


詳しくは花山稲荷神社のH.P.をご覧下さい。ブログには茅の輪作りの模様も書かれています。

*1:その昔...牛頭天王ごずてんのう(=素戔鳴尊スサノヲノミコト)が旅の途中一夜の宿を頼んだところ、裕福な巨旦将来こたんしょうらいが断ったものの、その兄の蘇民将来は貧しいにも関わらず、手厚くもてなした。感激した牛頭天王が「茅の輪をつけていれば、蘇民将来の子孫として、疫病の難を逃れられる」と約束したという。これより、茅の輪を疫病除けにします。祇園祭では「蘇民将来之子孫也」の護符を身につけたり、ちまきにつけて戸口に吊るし、疫病除けとします。

*2:断食石は元々畳十畳もあったという巨石だったと、幕末の「都名所図絵拾遺」にも描かれているが、明治期の灌漑事業のために、爆破粉砕してしまったものの一片が、現在残るもの。