粟田神社・出世恵美須社の出世えびす祭

 
一月十日は”えべっさん”で、京都では大和大路の恵美須神社*1が賑わいますが、相変わらず人混み嫌いの私は、十一日の”残り福”を求めて、穏やかな陽差しの下、同じく穏やかな雰囲気の粟田神社にお参りしました。
 
 
 
  
粟田神社本殿でお参りし、その左手を入ると、摂社の出世恵美須社があります。元々は三条蹴上の夷谷(日向大神宮の辺りでしょうか)に祀られていたらしいのですが、災害などによる変遷を経て、明治期に粟田神社の摂社として祀られたそう。
 
 
 

朗らかに笑われているご神体の恵美須さんは、とてもとても古い木像*2で、このお祭の三日間だけ公開されます。ご神体の撮影は本来不遜かも知れませんが、あまりに笑顔が素敵なので、宮司さんにお願いして撮影させて頂きました。
 
 
 
                    
不景気の最中、ちょっとは福も掻き寄せたいものと、熊手を求めましたが、大きいものは買えなくて...(涙) 小さい方のものを頂いてきました。
えびすさんについてちょっと調べてみましたら、以下のような記述に行きあたりました。なかなか深い話のように思いましたので、転載させて頂きます。
恵比寿神様はあの福々しい顔に似合わず苦労人であり、3歳まで足が立たず、それを理由に船に乗せて捨てられ(漂着先が神戸の西宮)、またあの福耳にもかかわらず耳が悪いとされています。また、国家の保護を受けていない格の低い神とされていますが、そこが逆に判官びいきの関西にうけている理由であり、また、関東ではうけなかった理由かもしれません。ちなみに関東ではおなじ商売繁盛の祭りとしては酉の市があり、これは国家的英雄とされる日本武尊ヤマトタケルノミコト)を祭っています。』(えべっさん入門 http://www.geocities.jp/kotekoteland/ebessan/ から引用。)
 
 
 
 

*1:京都恵美須神社の賑わいは、昨年の記事 http://d.hatena.ne.jp/narutakiso/20110110 をご覧下さい。

*2:源義経が幼少時代、源家再興の祈願をされた神様で、出世又は門出恵美須と呼ばれているそう。伝教大師の作とされ、日本最古の寄木造りの恵美須神像といわれています。平成9年解体修復。